理想の友は古き友?
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 私の年齢ではやや気が引けるが、「理想の友人」について考えてみたい。
 
 どんな人がいいか?まずは、情け容赦なく世間の偏差値的物差しで、私を計ったりしない人。これ以上出来の悪さを指摘されたら、開き直るか山ごもりでもするしかなくなるから。
 
 だからといって、何でもありの何でも許すって、伸びきったゴムひもほど寛容な人も、あまりなじめなさそう。望ましいのは、心が深くしかも理性的な人である。態度に一貫性があり信頼できれば、なにより私の気持ちを安らかにしてくれるだろう。
 
 さらに、心にアカなどちっとも溜めてなくて、伸びやかに無心に頑張る人がいい。欲張りだけど、こんな天使のような友人がいたら、人生はさぞかし楽しく充実するだろうなぁ…
 
 ところで、私には長いお付き合いのJさんがいる。
 
 彼女は意外にも世間体を気にし、それとなくこちらのあら探しをしていたりする。何か敵意でも…?
 
 そのくせ、時にはヒステリックなまでに私をかばってくれたりもするが、振り返れば背を向けていたりして気まぐれな態度である。
 
 実行力はあまりないが、とりあえずはヘ理屈が得意。それはゴマ化しの常套手段だから、正直じゃない分だけ心にはアカがたっぷりなのかもしれない。
 
 上滑りで不安定な印象のJである。どこか生きる実感が乏しいような… けれど、少しずつでも努力して、「理想の友人」を目指して欲しいものだ。
 
 とても無理な話だろうか?
 Jなんか、縁を切ったほうがいいとか?
 
 でもね、JはJIBUN。切っても切れない。やはり自分をきちんと大事にして付き合いたい。「理想の友人」では夢見すぎかもしれないが、誰しも人には尊厳があるということぐらいは、決して忘れないようにしたいと思う。    タイyo=3



                     

【2008/08/26 15:22】 | やさしめ | トラックバック(0) | コメント(4)
ご用心 袋の穴s

 
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 きのう月曜日のことである。ガシガシと掃除機をかけた。日曜日はほぼ家族全員が朝から晩まで家にいて、寝転がったりお菓子を食べたりするものだから汚れるし散らかる。

 「使った物は元に戻せよ」と心の中で毒づきながら、本を片付けようと玄関の廊下を通ったら、あららほこりが一杯。私の掃除って所詮こんなものか、と情けない。

 クイックルワイパーでも掛けて置くかとしかめっ面をしていると、なんとタバコの吸殻まで落ちていた。ギョッとする。通りすがりの誰かが玄関から吸殻を投げ込んだとか…いや、ありえない。ありえない。

 では、掃除機をかけ終わってから、本を片付けるまでの約10分間に、一体何があったのか…
 そういえば、ゴミ箱が一杯になっていたから、スーパーのレジ袋を持って各部屋を回収して歩いていたのだ。

 「あれか!」 あれだった。タバコの銘柄を確認すると、やはりわたしのであり、さっきそのレジ袋に
入れたばかりだった。

 ……悪い予感とともに振り返れば、タバコの灰と吸殻が、嘲笑うかのごとく家のあちこちに散乱していた。

 袋に穴が開いてたなんてしゃくに障るが、でもまぁ出入り口用に1つの穴(?)は必要不可欠だ。問題は穴が複数あったこと、また余分な穴を確かめもしなかった私のうかつさだ。

 掃除したのか散らかしたのか良く分からぬ有様になったが、その一方で日頃の行動からいかにも自分らしいことだと思う。

 これじゃ頭の中にも、ボッコボッコと穴が開いていそうだ。そういえば、私は「お袋」と呼ばれる立場であった。子供たちよ、すまんねぇ。こんなmany,many穴だらけの袋で。でも、その分反面教師としてたっぷり使えるからね。
 
 この身を呈して、私は子らにたくさんの学びを与えているのだとつい感動しそうになるが、千手観音の往復ビンタでも飛んできそうだから、止めておこう。

 この次からは、くれぐれも袋の穴Sには気をつけよう。
  ♪

 

                          

                 

テーマ:どうでもいいこと - ジャンル:日記

【2008/08/19 12:09】 | 少笑 | トラックバック(0) | コメント(6)
わがままは政府の罪 それを許すのは国民の罪

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        〈このタイトルは、チュ−リップの「虹とスニカーの頃」の歌詞のパロディです。〉

 数ヶ月前のニュースだが、韓国では輸入牛肉反対の大規模なデモがあった。夫はそれを見てしきりにうらやましがる。
「韓国みたいに、日本でも誰かやらんかなぁ」

 似たようなセリフは、報道番組などでもよく耳にする。さんざん政策を批判したのち、識者はこう言うのだ。
「海外だったら確実に暴動が起きてますよ。ホント日本人はおとなしいですからねぇ」
こんな言葉で肩をすくめる人は、自分もその日本人の一人だとは思ってないのか?私はちょっと驚く。

 とはいえ、異議申し立てにはなかなかのリスクが付きものだから、納得いかない政策でも国民はガマンで許すことになりやすい。すると、その分政府は「わがまま」になって行ったりしないだろうか?

 さらに、そのあげく国民軽視なんてことに……まさか。

 が、それにしては世の中暗くなってきた。若者の雇用は不安定に、老人は後期高齢者医療制度に脅え、多くの国民は消費税値上げの予感にゾッとしている。                                                                
                                                                                                

 そのくせ、特殊法人やら特別会計やらの不明朗な制度は多少のお色直しで温存されそうだし、国は本気で血税の垂れ流しを止める気があるのだろうか…

 具体的に考えてみると、やはり政府は自己チュー状態に陥っていそう。周り、つまり国民がろくに見えてないように思われる。

 そうだとすれば、「わがままな政府を許すのは国民の罪」であるし、そのうち「わがままな政府を許したら国民は犠牲」なんてことにもなりかねない気がする。

 冗談じゃない。といっても暴動などごめんだが、物申す異端的(?)日本人ぐらいは目指した方がいいのかもしれない。むやみと忍耐力をきたえても、明日は見えてこないし。kirakira          

【2008/08/15 11:50】 | 変人? | トラックバック(0) | コメント(2)
極道の四季働き

                                                                                                                                                      

                     080729_1008~01                                                     

 昔の親(戦前生まれのような)は皆そうだったのか、あるいは我家に限ってそうだったのか? 「格言、迷言」の類を、しじゅう聞かされながら育った。

 夜更けまで母が押入れなどをごそごそ片付けていると、父は決まってこうつぶやいた。
「見てみ、極道の四季働きじゃ」

 といっても、母はその筋の人ではなかった。高知弁では、「極道」はかなり気楽に使われる言葉なのだ。私など子供の頃から極道でしかられた。極道=怠け者の意味。

 また、「四季働き」って、何か季節感のある仕事、美しい年中行事のたぐいのようだが、それもちがう。父によれば、年に4回ぐらいしか働かないことだそうだ。

 つまり、たまにしか働かない怠け者に限って、常軌を逸して熱心に働くと言う意味なのだ。

 それでは、極道じゃない人はどうなのかと言えば、まるで水がサラサラと流れるように、平然と日々コンスタントに働いているのだろう。

 そのありように比べれば、気まぐれに派手に働くのは、日頃のだらしない暮らしぶりが透けて見えるようで、実に恥ずかしく見苦しいことにちがいない。

 ほんとに久しぶりにこの言葉を思い出して、愕然とする。発作的に私が片付け物をするのは、母の遺伝だったのか。

 「あぁ、極道のお母ちゃんで、困ったもんだよォ」
高知の空に向かって、アッカンベーをする。えっ、さっきのセリフは私の娘…    





【2008/08/09 15:39】 | エグめ | トラックバック(0) | コメント(2)
老いはポエジー

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まぶしい日差しのため、辺りが白っぽく見えづらい。

 

 運転していて危ないので、サングラスをかける。老眼には困る、またブルーべり-を買わなきゃと思う。

 目が悪くなってきたのは、40代になって間もなくだったか。あの頃は、世界が自分からぐんぐん遠ざかっていくようで、いたたまれない気がした。

 今まではっきり見えていたものが急にかすんでいくのだから、ひどく不安になったのだ。

 では、それから10年以上立って慣れてきたかと言うと、そうでもない。老化は進展していく一方だから、常に新たな局面なのだ。

 そして、目だけではなく、知覚能力全般の低下、感受性の鈍化などなど、そのうち際限なく世界はぼんやりとかすんでいってしまいそうだ。

 若い時に見たのは、どぎついまでに輪郭線のはっきりした晴れた日の景色であったろう。けれど、老いて見るのは、雨の日の窓ガラスの向こうににじむ風景であるような気がする。

 老いの苛立ちは増えていくのかもしれないが、それでも淡い風景に詩的な美しさを感じられるようになりたい。安心できる生活が大前提になるのだろうが、わたしには描いてみたい夢である

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2008/08/01 00:32】 | やさしめ | トラックバック(0) | コメント(3)
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おばさんの「毒出し的格言」


ほぼ創作格言                  目指そう、 こころのデトックス

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